自由すぎる大喜利でも注目! 松本人志も褒めた、神田愛花の“笑いのセンス”の原点は?
ピンクは大好きな色だし、洋服も全身ピンクで登校することもあったので、あだ名が“ピンクちゃん”になったこともありましたが、全然気にしませんでした。だって自分が好きでしていることだから。同じ学校の3学年上に兄がいたので、何かちょっかいを出された時は助けてもらい、ピンク色を愛し続けていたら、誰からも何も言われなくなりました。
――自分の意思をしっかり尊重するお子さんだったんですね。
神田:何にでも疑問を持つ子だったのかもしれません。小学校1年生の時にスカートめくりが流行ってたんですが、『なんで女の子がめくられる側なんだろう?お互いにやった方が面白いし、盛り上がるのでは?』と思い、ズボン下ろしを流行らせようとひらめいて!兄を練習台にして技を極めていったのですが、残念ながら学校では全然流行りませんでした(笑)。
――発想がユニークすぎる…。その頃から面白いことやお笑いが好きだったんですか?
神田:家が厳しかったので、小・中学生の時は一日30分しかテレビを見せてもらえなかったのですが、だから何を見るかすごく大事で吟味していました。
小学生の時は『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を夢中で見ていましたね。