「父子家庭で育ったことを誇りに思います」弾丸ストライカー・上門知樹のすべて
ーー具体的にどんなお父さまなのでしょうか。
毎日朝早くから夜遅くまで仕事して、加えて兄や姉の弁当も作ってくれていた時期もあり、休んでいる印象がないんですよ。父の唯一の休日である日曜も、朝から僕のサッカーの送迎をしてくれていたので、大人になって改めて父のことを振り返ると本当にすごいなと思いますね。特に覚えているのは、サッカーのスパイクがボロボロになってしまった時のこと。買い替えるのはお金がかかるし迷惑をかけてはいけないと、ずっと黙っていたんです。そうしたら、父から気づいて、何で言ってくれないのか、子どもが気を遣うなと怒られたんです。それまで少し反抗期で父とケンカをすることもありましたが、それを機に歯向かうことはやめました。尊敬しないといけないと思うようになりましたね。
プロサッカー選手を推してくれたのも父です。本当は僕、兄の後を追って調理師になろうと専門学校に受かっていたんですよ。そんななか、当時J3だったFC琉球からオファーをいただいたのですが、サッカー選手としての収入面で少し不安があったことから、プロになる気はありませんでした。でも、父がすごく積極的で「誰でもできることじゃないからやってみたら」