“有楽町”の由来になった…!? 織田信長の弟「有楽斎」の生き方に触れる展覧会
この有楽斎の像は、遠くをまっすぐ見つめる視線で、人の心の中を見透かしてしまうような、本質を見極めるような目をされています。
本能寺の変で焼けた…!
《本能寺跡出土瓦》桃山時代16世紀京都市蔵【通期展示】
第一章では、有楽斎が織田家の一員であることや、武将としての一面をうかがい知ることができる歴史資料などを見ることができます。例えば、織田信長の一代記として知られる「信長公記」では、主要な武将のひとりとして長益(有楽斎)がいたことが記されています。
また、本能寺跡から出土した瓦の一部も展示されています。この出土品について、安河内さんは次のように解説。
安河内さん明智光秀の謀反により、信長は49歳で亡くなります。本能寺の跡から出土した瓦は、鬼瓦や軒瓦のほか、表面が変色した瓦も含まれています。展示されている橙色の瓦は熱を受けて変色したもので、激烈な火災であったことがうかがえます。
伊達政宗とも交流!
展示風景より、写真手前:織田信長像江戸時代18世紀正伝永源院蔵【通期展示】
第二章では、有楽斎宛ての手紙や彼自身の手紙などの資料をとおして、茶人として活躍した有楽斎の姿が紹介されています。