ナイツ・塙宣之「僕らの時代でなくしてしまうのはいや」 漫才協会会長としての想い
――ナイツはいつから所属してるんですか?
塙:2001年にマセキ芸能社に入ったときに、会長から「浅草に行け」と言われたんですよ。
――浅草の笑いにご興味が?
塙:ないですないです。ていうか、浅草に演芸場があることすら知りませんでした。テレビに出ることしか考えてませんから、選択肢にすら入ってなかった。
――なぜ会長は、ナイツを浅草に行かせたんですかね?
塙:会長は、浅草でスターを作りたかったんですよね。昔浅草って、今の渋谷みたいに賑やかで、スターがどんどん生まれてた。それをもう一度やりたかったんです。だから会長は、バカリズムさんにもいとうあさこさんにも、「浅草に行ってくれよ」って声をかけたらしいんですけど、「いえ、テレビがいいです」ってずーっと断られていた、と。
もちろん僕らも「いやです」って言ったんですけど、なぜか「駄目だ、行け」って(笑)。
――反発しました?
塙:しましたし、腐ってましたよ。最初は「やめたい、やりたくねぇ」とか文句ばっかり言ってました。で、東洋館に出るには漫才協会に入らなきゃいけなくて、当時は漫才協会に入るには誰かの弟子にならなきゃいけなかった。それで内海桂子に弟子入りしたんです。