#006 女子生徒の地毛の黒染めを強要し裁判沙汰になった事件と実体験を照らしてわかった「校則の無意味さ」。| 橋本 紅子の「常識」と「パンク」の狭間で、自由を生み出すヒント。
3年生3学期のある日のホームルーム中、ふとクラスを見回すと、内部生も外部生も黒髪ばかりで「みんな勝手に落ち着くんだな」と笑ってしまったのを覚えている。入学式にパンチパーマで出席していためちゃくちゃヤンキーだった男の子も、当初のトゲトゲしさが完全になくなりかなりマイルドになっていて、その差が激しすぎてネタになっていた。無論、どちらがいいとか悪いとかではないし、先生たちはどんな格好をしていようと構うことなく、あくまで生徒の人格や言葉に耳を傾け、上から目線で取り締まるのではなく対等に接してくれていた。面白かったのは外見の違いだけじゃない。「外部生」として入って来た私や友人は、見た目以外にも少なからず内部生に対して何か大きな違いを感じていた。内部生は、とにかく自分の意思がしっかりしていた。そしてそれを恐れずに言葉にする術を知っているように見えた。「私はこう思う」。
「俺は〜だから○○には反対」。ルールが0な分、文化祭や体育祭などの行事やクラス内での些細なことまで、決まりごとを作るときには必ず生徒たちが話し合って決めていた。だから事あるごとに話し合いの場が設けられたし、国語や社会の授業でも机をコの字にしてディベートする機会が多かった。