#011「“死に方”って、生き方と同じくらい自由じゃないの?」私が『三国志』を観ながら自殺について考えたこと|カミーユ綾香の「マイノリティ爆弾」
三国志、長いです。こんにちは、カミーユです。去年からずっと、中国のドラマ『三国志』を観ております。大きな声では言えませんが、こっそり中国の動画サイトに無断でアップされてあるのないかなと思って、中国人の子に聞いてみました。いくつか動画サイトを教えてもらい、観ようとするのですが、サイトにアクセスすると何故か私のPCが異常な警戒音を発します。仕方ないので、TSUTAYAに貢いでいます。
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Photo by j_arlecchino
異なる“死に方”を選んだ、私の「推し武将、推し天皇、推し作家」
数ヶ月ほどだらだら見続けているのですが、先日ついに、私の推し武将、周瑜(しゅうゆ)が死にました。
嗚呼、周瑜!!作品によって描かれ方は違うのですが、今作の中ではサイコパスとして描かれておりまして、サイコパスに目のない私はサイコ周瑜を非常に気に入っておりました。諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)をライバル視しており、でも決して追いつけず劣等感を抱くというキャラなのですが、死ぬときも病床でのた打ち回りながら、「天は俺を生んでおきながら、何故、諸葛亮も生んだのだ(既生瑜何生亮)