#011「“死に方”って、生き方と同じくらい自由じゃないの?」私が『三国志』を観ながら自殺について考えたこと|カミーユ綾香の「マイノリティ爆弾」
!」と叫びながら憤死しました。嗚呼、憤死!
Photo by Manuel Joseph
周瑜の憤死を味わいながら、崇徳(すとく)天皇を思い出しました。崇徳天皇は私の推し天皇なのですが、色々あって島流しにされて怒り狂って舌を噛み切って「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」とかなんとかわけの分からないこと言って、最後は天狗になりました。嗚呼、崇徳天皇! で、崇徳天皇となると今度は三島由紀夫が連想されます。三島由紀夫は私の推し作家なのですが、彼の「春の雪」という作品が映画化されたときに、崇徳天皇の歌がモチーフとされていました。三島由紀夫の最期は、簡単に言えば、色々あって自衛隊駐屯地に乗り込んで占拠して切腹して自害しました。嗚呼、切腹! 死に方にも色々あります。周瑜は憤死、崇徳院は天狗、三島は切腹です。
これって、大きくカテゴライズすると全て自殺なのではないかと思います。三島は明らかに自殺ですが、周瑜と崇徳院も自らを死(天狗含む)に追いやったわけでありますから、自殺の枠に近いでしょう。
三島由紀夫Photo by DietrichLiao
自殺を“絶対悪”と言い切る資格があるのでしょうか?
となるとですよ、自殺って、絶対悪にされるものでしょうか。