「アートか、わいせつか」の議論から離れ、“性表現の規制”をかいくぐって遊ぶフォトグラファー
ここで興味深かったのが、彼は怒りもせず、むしろその反応をおもしろがっていたこと。より話を聞いていくとタクヤ氏の考えは、スケートボードやグラフィティアートなどが持つ「規制をかいくぐる感覚」に通ずるようだった。
自分としてはあまり「性器の写真」というイメージがなかったけど「そういえば出ているんだった」って。反応を見るのはおもしろいですね。それに対して、じゃあ次はどうやろうって、その間を遊んでいく感覚です。ビルの前にあるでかい彫刻にスケートで突っ込んでいくとかそういう感覚で、本来とは違う用途でどう扱い遊ぶか、ルールをどう自分で解釈して遊ぶかっていうことに楽しさを感じます。それによっておもちゃが増えるというか、考えるトリガーが増える感じですね。今回のことに関しては「最終日に、ポスターのみ」という部分から、重く考えてはいなくて、ルールを守らないと怒られる立場の人間が気づいてしまったんだろうなとか、次に偉そうな人が来たらポスターの前に立っとこうかなとかその程度ですが、「これだけ多くの人が自由にさまざまな情報へアクセスできる時代に問題になるような写真か?」という疑問はあります。
仕方のないことだとは思いつつも、法は常に追従する存在なのでそれを用いる人間そのものやテクノロジーの進化するスピードに離され続ける。