「アートか、わいせつか」の議論から離れ、“性表現の規制”をかいくぐって遊ぶフォトグラファー
アートと「わいせつ」の違いは何か
何が「わいせつ物」にあたるのかという議論と同様に、「アートかわいせつか」の境界線がどこにあるのかの議論も度々耳にしてきた。タクヤ氏の意見を尋ねてみると、彼のなかに特に区別はなく、その二つを分けることが個人の利益になるわけではないと話す。
「生きる目的は」とか「生きている理由は」っていう質問と結構似ているかなっていう気がします。各々のなかにだけ存在するし、そんなもの最初からないし。社会が勝手にそれを輪郭づけないと不都合があるから、わいせつとかアートとかに分けたいだけで、個人のなかに区別をつけなきゃいけない明確な理由もなければ、区別するメリットもないかなって思っていて。わいせつかアートかは特にないですね自分のなかでは。好きか嫌いかみたいなラインに従っていきたいです。
自分の写真にヌードが多いので、“セクシャルなもの”とか“エロいもの”を多く撮っている人っていうイメージがあると言葉にされたことがあって、ああそういうものとして見えるのかっていう感覚はありました。
ポルノだと思う人もいれば、それが愛とか風景写真に見える人もいて、その解答を自らの意見として示したいわけでもなければ自分以外に適応される解答を持っているわけでもない。