2012年5月15日 15:26
アルモドバルが、生きる愛。「とんでもない奴ら」に裏打ちされた愛のかたちとは?
彼の作品には、多くの母親たちが登場しますが、『ハイヒール』、『オール・アバウト・マイ・マザー』、『ボルベール<帰郷>』(’06)などが分かりやすい例でしょう。ここに登場する母親たちは、時に命すら捧げ、子供たちを無条件に受け入れ、守ってきました。例え、子が法を犯していても、倫理的に褒められはしないとしても。
母親とは、多かれ少なかれ、そういうもの。世界中の全員がわが子の敵になったとしても、自分だけはこの子の味方であるというような覚悟を持つ者、それが母なのでしょう。アルモドバルの作品で、母親的愛情を体現する者は、決して本当の母親である必要はありません。慈悲深いマリアのような存在として描かれているのです。彼女たちの視点は、まるでアルモドバルの視点そのものです。
『私が、生きる肌』に出てくる狂気の医師・ロベルにすら、観ている者が憐みに似たものを感じてしまうのは、その視点ゆえかもしれません。アルモドバルは、ロベルを演じるアントニオ・バンデラスには無表情を求めたという話も興味深いもの。
「私が見せようとしたのは、ロベル博士の邪悪さではなく、むしろ彼の完璧な感情の欠如だった。精神を病んだ者たちを定義するものは、彼ら自身が“他人”の立場になれないことである。