くらし情報『『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ』

2022年3月24日 18:30

『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ

対して、何をしても器用で、瞬発力も感受性もあり、何かをすぐに把握できてしまう高槻。彼は、家福のように反覆をすることを受け付けず、何度も何度も単調なトーンでセリフを読み込む稽古に疑問を持ち、直情的すぎるばかりに負の感情も抑えきれないという面で、家福と対照的である。単調だけれども「生」を選ぶ家福と、激しさが「死」と隣り合わせのようになっている高槻のコントラストが際立っていた。

『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ

しかし、今になって映画について考えていると、家福には、「老い」ということも重ねられているように感じられる。それは、彼が自動車事故にあい、精密検査を受けたことで緑内障を患っていることがわかるところからもうかがえる。緑内障は高齢者に多い目の病気で、点眼薬を毎日使えば、進行を抑えることができる。ここでも、単調でも同じことを繰り返すというキーワードが出てくるのだ。

その後も家福は数年の間は愛車のサーブの運転を続けていたが、広島での演劇の仕事をきっかけにサーブの後部席に乗ることになり、みさきに運転を任せることになる(みさきも、毎日、淡々と正確な運転を繰り返す人物である)。
やがて家福は、音のことを巡って高槻に感情を揺るがされ、みさきと対話をしたいと思い、助手席に座り、そして最後にはサーブを手放すのだった。

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