くらし情報『『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ』

2022年3月24日 18:30

『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ

『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ

タイトルに『ドライブ・マイ・カー』とついているのに、その車が家福のものですらなくなるのは、どういうことなのかと思ったが、車をドライブするということは、主体性を意味していると考えれば、家福は、徐々に主体性というものを受け渡し、そしてそこからいなくなってしまうとも考えられる。

そのとき、同じ入れ物であるという意味で、車は肉体に似ている。この映画が「老い」をテーマのひとつにしているとすれば、人間の体も、日々、乗りこなし、「老い」とともに、誰かに委ねたり、手放さないといけないものなのではないか。手放すその日を迎えるまでは、衰え行く体とつきあうと言う意味においても、愛するものを失ったりして、思うように動かせなくなっていく心と向き合い、ときには悲しみやままならなさを受け入れていくという意味においても、淡々と日々のメンテナンスをしていかなければならない。


『ドライブ・マイ・カー』の“車”と“肉体”とのつながり、「老い」を受け入れるということ

「老い」を受け止めるということは、自分に過度な自信があったり、過度に力があると思っていればいるほど、耐えがたく受け入れがたいことだろう。人によっては、「老いる」ということにつきまとう「弱さ」を受け入れられないかもしれない。その受け入れがたさと、人に「弱さ」

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