"最強"湘南ベルマーレを誕生させた男2人の四半世紀前のロマン - J1昇格秘話
2004年シーズンに臨むに当たって、川崎フロンターレの育成組織で中学生を指導していた曺をヘッドコーチとして招聘(しょうへい)する。
現役引退後にドイツのケルン体育大学へ2年間留学した曺は真っ赤な情熱をそのままに、卓越した理論を身にまとった指導者へ成長していた。
ベルマーレのキャプテン・永木亮太は、実はフロンターレ時代のまな弟子だ。同じく中学時代に曺の熱血指導を受け、ベルマーレから柏レイソルへと移籍した高山薫は畏敬の思いを込めて曺をこう呼ぶ。
「いまでも僕にとっての金八先生です」。
2004年秋。手腕を発揮する場をセレッソから湘南ベルマーレへと移し、強化部長に就任した大倉はほどなくして、社長の眞壁潔(現代表取締役会長)にこんな提案をしている。
「曺という人間を連れてきてもいいでしょうか」。
○J黎明期に大倉が描いた光景の実現
当時のベルマーレは「育成型クラブ」への転換を決めていた。湘南エリアの才能ある子どもたちが、横浜F・マリノスの育成組織入りを希望する流れを食い止めたい。親会社を持たない市民クラブが生き残っていくための決断だった。
育成を託すならば曺しかいない。長期的視野に立った大倉のクラブ改革に感銘を受けた曺は、早稲田大学のOBが当時の監督を務めていた、2つのJ1クラブからの入閣要請に断りを入れて2005年にベルマーレのジュニアユース監督に就任。