演劇ファンが唸り、役者の成長も感じる『刀ミュ』〜つはものどもがゆめのあと〜
とは何か「つはものどもがゆめのあと」はそこに切り込んでいく。
○■見ていて心配になるくらいの今剣
歴史といっても現代人はその目で見たことはなく、書物で語り継がれてきたことしか知らない。その書物もどこまで事実かわからないことも多い。「勧進帳」が人気の義経、弁慶の関わりや、主として弁慶の存在も確実なところはわからない。とすると、今剣、岩融、髭切、膝丸の存在も危うくなってくる。今回はずばりそこをテーマにすることで、いっそう狂おしいほど胸をかきむしられるような刀剣男士たちの心情が描かれる。
4作目にして、舞台装置の階段がこれあまでのザッツ大階段というようなものとはうって変わり、段鼻(踏み板の先端)が凸凹してうねっている。これは単なる装置のリニューアルではなく、この物語の重要なセリフ「自らの存在を疑ったことはあるか」(岩融)を表すような、信じていた歴史はほんとうに正しいか否か、その揺らぎのようにすら見えてくる。
刀剣男士たちは、このうねる階段の上をまっすぐ全力で上がったり下りたり飛んだりし続ける。6振りの太刀筋も迷いを振り払うかのように美しい。
いったいどこまで刀剣男士たちは苦しまないとならないのか。