くらし情報『演劇ファンが唸り、役者の成長も感じる『刀ミュ』〜つはものどもがゆめのあと〜』

2020年5月12日 18:07

演劇ファンが唸り、役者の成長も感じる『刀ミュ』〜つはものどもがゆめのあと〜

○■寺山修司『毛皮のマリー』を連想

さてここからは演劇好きの演劇に寄ったレビュー。「三百年の子守唄」のレビューで、
本多忠勝を演じる蜻蛉切に物吉貞宗が「別の存在なんです」「なろうと思わなくていんです」「忠勝さまへの思いを戦にぶつければいいんです」と助言するセリフが演技論のようだと書いた私は、「つはものどもがゆめのあと」もさらに物語のなかに演技論が塗り込められているように感じた。小狐丸の「あどうつ聲」では「打つ」という言葉に関連する言葉をあげていくなかのひとつに「打つのは芝居」とある。「阿津賀志山異聞」で岩融が歌った「名残月」を聞いた三日月宗近が、岩融には「苦悩」があるが、今剣には「憧憬」や「思慕」が感じられるというのも、同じ歌やセリフでも歌ったり演じたりする人によって違うものになるということ。岩融と今剣は義経と弁慶の名場面を演じて再現しようと稽古に励んでいて「勧進帳」も演じようとするが、これこそ「演技」を演じる芝居である。「勧進帳」のネタバレになるが、義経と弁慶が敵の眼を避けて逃げていく際、関所で怪しまれ、弁慶は勧進帳を読み上げるふりをする(赤塚不二夫のお葬式のときのタモリの弔辞の元ネタ)。

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