『ベイマックス』の舞台サンフランソウキョウは"別府"をイメージしたもの!? - アニー賞を獲得したクリエイター上杉忠弘が明かす舞台裏
――一番最初にピクサーの方が会いに来たのは何年前ぐらいなんですか?
2002年でした。そのころからアメリカの水道会社のイラストを制作するお仕事が突然入ってきたりとか、海外からのオファーを受けるようになったんです。どういった経緯で、オファーがきたのか理由はわからないんですが、きっとどこかで(ウェブ上に公開したイラストが)拡散されていたようです。なぜ外国で受けるのかというのも、未だにピンと来てはいないのですけどね(笑)。
――ウェブ上に公開したイラストというのは、特にターゲットを決めずに、とにかく描きたいものを描いていたのですか?
その時は女性向けの仕事の量がピークといっていい時期で、仕事に追われて自分の描きたいものが描けなくなっていました。それで、自分がおもしろいと思うものを描いてはウェブ上に発表していたんです。仕事で描いた作品ももちろんアップしていたんですけど、それが混然となって「なんか変なことやっている人が日本にいる」と思われたみたいなんですね。
それでエンリコさんたちが会いにきてくれた後に、今度はディズニーのプロデューサーの方が会いたいと言ってきたんです。
プロデューサーといっても下っ端の人が来るのかと思ったら、そうではなくて。