2021年7月31日 10:00
芸人・ですよ。地獄だった暗黒時代を経て復活! 謝罪代行にやりがい「自分のギャグが人のためになれば」
反響はすごかったですけど。サッカー留学を失敗したので親にはお笑いやっていることを言ってなかったのですが、『エンタ』に出た次の日に父親から電話がかかってきて、「お前はもしかして、ですよ。か?」って。
――すんなり応援してくれましたか?
はい。応援してくれました。
――『エンタの神様』卒業後の変化も教えてください。
『エンタ』に出なくなってからは地獄でした。今思い返しても真っ暗です。
『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)が始まって、エンタ芸人ではなくレッドカーペット芸人のほうに仕事がいってしまった感じで、すごく焦っていました。当時はコンテンツがテレビしかなかったので、テレビの人に気に入られようと必死でした。
――吉本さんは劇場もありますし、営業もあるのかなと思いますが、テレビ出演が減っている時期はそういった活動に力を注がれていたのでしょうか。
そうですね。ライブは好きでしたし、営業も行かせてもらっていました。やはりお笑いが好きというか、自分のギャグで人に笑ってもらいたいという思いはずっとありました。
――芸人を辞めようと思ったことは?
2008年あたりはずっと悩んでいて、辞めようと思ったこともありました。