現役復帰を決めた中山雅史が魂のプレーと背番号「39」を通して伝えたい想い
な姿に胸を打たれたのが、アスルクラロの役員を務める山本昌邦氏だった。
ジュビロのヘッドコーチおよび監督として中山を指導し、日本代表のコーチも務めたことのある山本氏の呼びかけで、アスルクラロの練習に初めて参加したのが9月5日。そのときから、山本氏はこう語っていた。
「選手登録までたどり着ければと思う」。
現役復帰への道筋を示してくれた、山本氏をはじめとするアスルクラロ関係者へ、まずは感謝の思いを伝えたいはずだ。
○パワーと勇気を与えてくれたチャント
日本サッカー界において初めて誕生した、特定選手へのチャントの対象となった選手が実は中山だった。
「オ~ナカヤマ、オッ! オッ! ナカヤマ、ナカヤマ、ゴン、ゴン、ゴール」。
叫びながら思わずジャンプしてしまう歌声が初めて登場したのは、日本代表が初優勝した1992年秋のアジアカップ広島大会だった。
当時25歳の中山は、スーパーサブとして劇的なゴールを連発して日本の窮地を救った。その勇姿に魅せられたサポーターが自然と口ずさみ、いつしか定番となったチャントは、現役復帰の舞台となるJFLのスタジアムでも必ず奏でられるだろう。
中山の自己評価は、常に「下手くそ」