くらし情報『奥田瑛二、「監督の“OK”は何点?」の答え “命がけ”で歩んできた俳優人生』

奥田瑛二、「監督の“OK”は何点?」の答え “命がけ”で歩んできた俳優人生

○『千利休 本覺坊遺文』では自ら丸坊主にして着物で生活

――そこを撮れる役者が欲しかったんですね。

そういうことです。そのあと続けて『千利休 本覺坊遺文』(89年)を撮ったんですが、昔は撮影に入る前に1年以上時間があったんです。だからその期間、銀座の呉服屋で上下の普段着の袴と着物を5枚くらい作って、1年間ずっと着物で過ごしていました。お茶も1年間習いました。

――自主的に?

もちろん。「君で行くから」と言われてすぐに坊主頭にして、裏千家の親戚筋のお宅に1年間通ってマンツーマンで茶道を習いました。そのあと、クランクインの1カ月前に「すまないが、お茶を習いに行ってもらえないか」と言われたんです。


――そのころにはすでに準備万端ですね。

「嫌です」って言ったんです。

――「嫌です」?(笑)

それでも頼むからと言われて、「しょうがないですね」って裏千家の本家に近い方のお屋敷に行ったんです。そこで「実家が愛知県で茶碗は作ってましたが、お茶は母親が趣味でやっていたくらいです。まず通しで1度やらせてください」と言ったら、先生もみんなもビックリしながら「じゃあ、とりあえず」ということになったんです。

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