ディーン・フジオカ、芸能活動20周年「奇跡の連続」 放浪旅中にスカウト、そして朝ドラ五代役が「大きな転機に」
と否定する。
「日本でも仕事はしたかったですが日本に住む気はなかったので、仕事の機会があったら呼んでくださいという感じで、日本で仕事を始めた頃は、仕事が入ったら日本のホテルに泊まり、終わったら台北とかジャカルタに帰るという生活でした」
『あさが来た』の撮影が終わり、TBS系ドラマ『ダメな私に恋してください』のオファーがあったタイミングで、初めて東京に自分の家を構えるようになったという。
「2016年頃ですが、そうしないとスケジュールが回らなくなって。そこからは壮絶な日々でした(笑)」と多忙な日々を壮絶と表現するも、「それは幸運なことですよ。オファーをいただけるというのはありがたいことなので。選んでも選んでもスケジュールに収まらないという貴重な経験をさせてもらったなと思います」とほほ笑んだ。
●縁を大切に…国境を越え、仕事の内容もボーダレスに活動
母国とはいえ、日本での活動に最初は戸惑いもあったと明かす。
「長いこと海外にいたので、最初は日本の社会に馴染めない部分がありました。
仕事の仕方も全然違うし、10年前の日本はまだしきたりが強くて、コンプラもそこまで厳しくなかったので、そういった昭和からの流れを制作の現場で垣間見ることができ、そこからどんどん変わっていくのを体感できたことは、すごくいい経験になったなと感じています」