「お金」に興味を持つという事 - セゾン投信・中野社長の半生記 (3) ”バブルの毒”がまわり、「運用で利益を稼ぐことがいちばん賢い」と信じる
私がいた会社も当然日本株に最も大きな運用資金を投入していました。
当時の担当者は毎日朝から晩まで息つく間もない証券会社との電話のやりとりで、大手から地場まで30社以上の証券会社に間断なく発注を積み上げていましたが、証券投資理論をかじり始めていた私にとって、それは大変異様な光景だったのです。
なぜなら株式担当者の銘柄選択に関して、選定プロセスの記録が一切されないのです。
そんなことする暇もなく買い買い買いの大忙しだったのかもしれませんが、そこには企業価値の算定も将来利益の評価もなく、チャート分析さえおざなりで、1銘柄への集中投資で1回に数十億円が買い付けられる。
すると数日後「どどーん」と一気に売却。
ちゃんと売却益が出ているのです。
これがその頃悪名高き「営業特金」と呼ばれたやつで、証券会社が大量の株式を右から左へぐるぐる廻して価格を吊り上げて利益を作っていたのです。
会社は電話のやりとりだけで驚くほど儲かっていました。
今では絶対に実現不可能なことですが、当時の資金運用の世界ではこれも常識だったのです。
無論こんな無茶苦茶な運用がいつまでも続くわけがありません。
やがて損失補てんという事実が暴かれ、証券不祥事として大きな社会問題となるのですが、大きな資金力を持ってさえいれば儲かってしまう! これがバブル経済の姿だったのです。
さて、日本株が日経平均3万9千円へと右肩上がりに上昇を続けていたこの時期、多くの上場企業が資本調達を活発に行っていました。
市場での公な資本調達、つまり増資(エクイティファイナンスと言います)です。
普通の公募増資のほか、転換社債やワラントといった派生型資本調達も盛んでした。
そして論理的には増資するということは、株式数が増えるということ。
そうすると既存の株式は希薄化といって株価が下がるはずです。
ところがこの時期は増資すると必ずといっていいほど株価が上がるのです。
証券投資理論的には成り立たないことが常識になっていました。なぜでしょう? もちろんみんなが喜んで買い上げるからにほかならないのですが、ファイナンス(増資)は買い! とされていた理由は、成長という前提があったことだと思います。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を皆が信じて疑わなかったこの時代、企業は調達資金を用いて成長し、その結果日本経済も成長を続けると信じられていたからこそ、株式は買いだったのです。
増資で株価が上がる! など成長期待が失せた今では、ほとんどあり得ないことです。
こうした成長期待に覆われた環境下での資金運用、それは容易くお金がお金を生むことでした。
この中で私も、「運用で利益を稼ぐことがいちばん賢いこと」と信じて疑わなくなっていました。
かつての友人の言葉「ものづくりはカタチあるものを世の中に届けられるから、仕事のやり甲斐を実感出来ると思うんだ。
」(第2回参照)は忘れてはいませんでしたが、それは別世界のことと感じていたわけで、まさに”バブルの毒”がまわっていたのです。
株価はなぜ上がるのか? それは本来その企業の行うビジネスが社会的需要に裏打ちされた付加価値を世の中に提供することで、売上があがり利益が積み上がる。
その集積が株式価値を高めて行くのです。
こうした当然の本質を、私はまったく考えることがありませんでした。
「営業特金」で一気に買い上げれば株価は上がり、売りを浴びせれば下がる。
そんな環境に居ると、相場の値動きでしか株式を見ることができなかったのです。
今では考えられないことですが、私のいた会社の社員はほぼ全員、個人でも株式投資に夢中になっていました。
恐ろしいことに何千万円も株式を買うことが決しておかしなことではなかったのです。
事実下っ端社員である私も、最大2千万円近くまで株式を買いました。
なぜ買えたかというと、系列ノンバンクや銀行のカードローンでいくらでもお金が借りられたからです。
自分で銘柄を選ぶときも、その企業の事業内容にはまるで無関心。
チャートで分析して上がりそうなやつを選んでいただけです。
会社のクイック(株価が表示される掲示板)の前には、自分の持っている銘柄の値段をチェックしに、社員が次から次へとひっきりなしでした。
無論自分の金銭感覚は完全に狂ってきましたが、何より日本経済を支えるものづくりや内需に資するサービス産業の価値を感じる感覚が麻痺してしまっていました。そんなちまちました仕事はバカバカしいと思うようになっていたのです。
やがて天罰を食らい大損するわけで、結局は恥ずかしい話ですが、私のような凡人にとっては、こうした能天気な時期も資産運用の本質に思い至るうえでの必要な体験だったのかもしれません。
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