鉄道トリビア (164) 大阪市中心部へ私鉄が乗り入れできた理由
戦時政策によって、大阪市の市営主義は保たれた格好だ。
大阪市は次の輸送手段として、地下鉄の建設を始める。
ここでも市営主義を貫いた。
戦前、戦中、戦後と、民間の鉄道会社が大阪市中心部への乗り入れを申請するものの、市議会はこれを認めず、民間会社が計画中のルートに地下鉄路線を建設するなどして対抗した。
しかしこうした施策が裏目となり、建設費の負担が増大。
渋滞で不振となった市電の累積赤字もかさみ、大阪市の地下鉄路線網の整備は停滞してしまう。
そこで、運輸大臣の諮問機関である都市交通審議会は、1958年に大阪市の地下鉄路線の整備ルートを答申した上で、「民間会社の参入」を勧告した。
これにより、京阪電車は天満橋駅から大阪市中心部に乗り入れて淀屋橋駅まで開業し、近鉄も上本町駅から近鉄難波(現在の大阪難波)駅まで開業して南海と接続した。
現在は阪神電車も大阪難波駅へ乗り入れ、JR西日本もJR東西線を開業させて大阪市中心部を貫いている。
東京の大手私鉄の多くは、地下鉄との相互直通運転で都心への乗り入れを実施している。
大阪の場合は大手私鉄が直接乗り入れるケースが増え、大阪市営地下鉄との相互直通運転を行うのは3路線のみ。