横浜土産の定番「崎陽軒のシウマイ」が定番に上り詰めたヒストリー
崎陽軒のCMを聴くと反射的に、「今晩はおいしいシウマイが食べたいな~」と舌なめずりしてしまう人も多いはず。
横浜に遊びに行ったことがなかろうと、シウマイ弁当を食べたことがなかろうと、あのフレーズを耳にするとシウマイの風味が口の中いっぱいに広がるもの。
そんなシウマイは、いつから私たちの身近に存在していたのだろうか?起源を探るべく、いざ崎陽軒にインタビュー!崎陽軒の創業は明治41年(1908)。
横浜駅構内での営業許可を受け、牛乳、サイダー、餅などの販売からスタートした。
その後、弁当販売にも手を広げたものの、横浜―東京間は約30分という中途半端な距離。
東京駅から乗車した人はまだおなかがすいておらず、東京駅を目指す人は下車準備にとりかかる時間帯だ。
弁当を求める人がほとんどおらず大苦戦したという。
そんな折、関東大震災によって、崎陽軒は横浜の街もろとも崩壊してしまう。
そこで、初代社長の野並茂吉氏は、再起をかけて新たな製品作りを決意。
「弁当だけではダメだ。
横浜の名物が必要だ」。
そう考えた野並氏は、南京街(現:中華街)を探索。
そこで気付いたのが、どの店でも突き出しとしてシウマイを供していることだった。