長野県佐久平を中心に振る舞われる鯉料理は、なぜ人を惹きつけるのか?
と水間さん。
はて?「最近」ということは、佐久でも鯉を食べなくなった時期があったのだろうか?尋ねてみたところ、戦後、鯉の餌となるサナギの養蚕が廃れるとともに、水田養鯉も廃れはじめたという。
さらに、昭和に入って除草剤が普及したことや、鯉が稲を傷つけるといった理由から、鯉を育てる人が減っていったのだという。
そうこうするうち、「佐久鯉」と呼ばれる鯉のほとんどが、茨城県霞ヶ浦から入荷した鯉を、しばらく佐久で育てたものになっていったのだとか。
佐久鯉を復活させようという機運が高まったのは、2000年に入ってのこと。
市内の小学校に通う児童がつくった「佐久鯉」に関するレポートと、市への要望書がきっかけだったそうだ。
2003年には「鯉の文化を絶やしてはいけない」と、佐久商工会議所が中心となって、「佐久の鯉人倶楽部」を発足。
その年に起きた霞ヶ浦のコイヘルペスウイルスによる鯉大量死を受け、コイヘルペスウイルスがいない水系の調査を実施。
「佐久で生まれ、佐久で育った」鯉を守っていくための、様々な活動を続けてきたそうだ。
「佐久は酒もおいしいからね。
鯉のあらいができあがるのを、お酒を飲みながら待つ。