、2002年アメリカ合衆国の決議案が可決し、ようやくメウッチが電話の発明者として認知されるようになったのです。
■飛行機の開発は日本人の方が早かったかも?
近代になると、科学技術の発展、発明はスピードを増します。同じ物を世界の別の場所で同時期に開発していた、なんて話は数多くあります。有人飛行機の開発は、日本人が世界初になるかもしれなかった話を知っていますか?
二宮忠八(1866年~1936年)は明治時代の人で、飛行機の研究開発に熱心でした。彼は自分の飛行機械を「飛行器」と呼びました。1891年にはゴム動力の「飛行器」の飛行に成功。これは「カラス飛行器」と呼ばれています。
二宮忠八がカラスの滑空を見て思いついたからです。
その後、玉虫の形にヒントを得た「玉虫型飛行器」(有人飛行用)の研究を開始し、1893年にはその模型が完成しました。研究開発資金の提供を軍に申し入れますが、却下されます。
失意の二宮は独力で開発を続けることを決意します。しかし、資金を稼ぐために製薬会社に勤務するなど、それどころではなくなったのです。ようやく研究を再開したところにライト兄弟による「有人飛行機の初飛行成功!」