ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。
文豪クズ男列伝、ここまでに3人の作品と私生活を見てきましたが…時代はあったとはいえ、作家の人間性って…? と複雑な気持ちになってきます。
フェティッシュな女好き、借金まみれの放蕩ニート、大騒ぎ系メンヘラとなかなかの逸材揃いのクズっぷりですが、今回はエリート中のエリート! という印象のこの方はどうでしょうか?
東京大学予科に最年少で入学
医学博士で文学博士で…小説家!
森鴎外。日本陸軍の軍医統帥となりながら『舞姫』『山椒太夫』や『高瀬舟』といった流麗な文体の名作を数々残した文豪…その経歴を列挙するとぐうの音も出ませんわね。
家柄もよく神童で、成長すると軍医のトップに君臨しながらも文学でも評価されるだなんてパンピーとしては羨ましい以外の感想が言えません〜!!
てか東大入る歳おかしくないです!? 飛び級とか本当にする人っているんだね!
でもま、言うても人間ですからね。
もしかしてちょっと変なところがあるのでは…?
とちょっと興味本位で森鴎外の人生を覗いてみましょうかね!
森鴎外の作品として一番有名なのは『舞姫』です。
ドイツ留学中の森の実体験を元に書かれたこのお話自体も、美しい文体でありつつ内容は
女性側からするとまぁまぁひどい話だよね…?
でも事実は小説よりもっとクズかった!!
これまでの文豪もそうですが、現代だったらこんなこと立場ある大人がやらかしたら社会的制裁を受けるだろうな…という事件がゴロゴロ転がってますね。
留学先で妊娠させた女性の責任を取らずに帰ってきてしまい、日本まで追いかけてきたその女性に対して親族が対応するという…男としてというか人間としてどうなんだと思ってしまいますよね?
実際のエリーゼさんは強い女性で、心を病むことはなくその後も鴎外と文通も続けていたり、30代後半で再婚されたりとしっかりと自立して生き抜いたと言われてますが…。
森鴎外という人はプライドの高い人だったようで、こういった自身の経験(やらかし?)を昇華するために物語の結末を自分の都合の良いように、なんなら相手から恋焦がれられているという美しいフィクションにした? ということなのでしょうか…。
これは…いろいろ生きづらい!
さて、ペンネームからも社会的地位からもお堅いイメージのある森鴎外ですが、実はちょっと意外な元祖でもある…!?
そう、我が子たちにキラキラネームを付けていたんです!
娘でエッセイストになった森茉莉(マリ)さんは有名ですが、実は兄弟みんな洋風かぶれな今で言うキラキラネーム。
きっかけは自分自身の本名である「林太郎」がドイツ語では発音しにくく名前を覚えてもらえなかったことだそう。
子どもたちだけでなく、長男の於莵(おと←オットー)さんのお子さんたち、つまり孫にもこの流れを受け継ぎ、五人の息子たちは「真章(まくす←マークス)」「富(とむ←トム)」「礼於(れお←レオ)」「樊須(はんす←ハンス)」「常治(じょうじ←ジョージ)」と全員洋風な名前になっているんですね。
多種多様な名前が溢れる現代なら驚かないけど、「⚪︎⚪︎太郎」や「△ノ介」などがまだまだ多かった時代にこれはかえって日本での自己紹介で絶対何度も聞き直されて大変だったでしょうな…。
また鴎外は、医学、特に細菌学の権威に師事したことで時代に先駆けて細菌の知識を身につけたわけですが…。
お湯にいる細菌のことを知った鴎外はお湯に浸かることができなくなり、手桶に溜めたお湯で体を洗うことしかしなかったそう。
食事も生物を食べられず果物に至るまで全て火を通して食べるという潔癖ぶり。
焼き芋は「消毒」されているから大好物、というのもちょっと…。
コロナ禍で無菌状態が長かった子どもたちに手洗いやマスクの習慣が浸透したのは良かったけれど、ちょっと潔癖ぎみになっている子も多いことを思うとわかる気もするなぁ。
しかし、名家で金持ちで頭が良かった鴎外の人生なのですが、現代でもよく見かける幼い頃から親の絶大な期待を背負いながら塾や受験に挑む子どもたちの姿に重なって、少し切なくもなります。
藩医の家柄とはいえ絶大な勢力を持った長州の藩閥政治を横目に見ていた弱小藩出身。一家の命運はたった1人の男の子であった林太郎(鴎外)の肩にのしかかってしまうのです。
幼少期からの徹底的な母親のスパルタ教育が、たまたま地頭よく生まれた林太郎にうまくはまり、どんどん吸収して結果を出すことでますます周囲の期待は膨らんでいきます。
両親の期待に応えてエリートコースを突き進み、陸軍軍医のトップに就任。さらに文学の世界にまで…と、人が羨む人生の成功者のように思えるのですが…。なんと!