【日本モード誌クロニクル:横井由利】モード誌元年はこうして始まった。『アンアン/エル・ジャポン』創刊--3/12前編
「創刊した頃のファッションページは、金子功さんが作った一点ものの服を掲載したので価格表記はなく、今のようにメーカーやブランドからサンプルを借りて、価格をクレジットするようになったのは50号目からだった」と原さん。サンディカ(オートクチュール組合)の再編により、プレタポルテ組合が新設された1973年、原さんは初めてパリコレを取材することになった。「ケンゾーは証券取引所、ソニア・リキエルはグルネル通りのブティックと、思いおもいの場所でショーを開いていた。ケンゾー以前は、モデルがナンバーカードを持ち、粛々と歩くのがショーのやり方だったけど、ケンゾーは一度にたくさんのモデルをランウエイへ送り出し、まるでお祭りのようだった。このやり方は、ジャンポール・ゴルチエに引き継がれたの」その頃コレクション取材をしていたのは、パリに支局を持つ文化出版や新聞社の記者で、日本から出掛ける者はほとんどおらず、むしろバイヤーのほうが多かった。原由美子さんには、仏ELLEチームに混じりElle Japon Yumiko Haraのカードを貼り付けた席が用意された。「仏『ELLE』に掲載されている編集長や気に掛かるページを担当するファッションエディターの席を見つけては、この人がページを作っているんだと興味深かった」