「もういないんだ」胸の奥にあるぽっかりとした空洞を埋めるのは?
「そうか、君はもういないのか」
このつぶやくような一行を、私は母が亡くなって、愛犬のラニが亡くなってからふと思い出します。
死が生命活動の終わりだとわかっていても、私は不思議でなりません。もういない、もう会えないという現実の凄みに、胸を掻きむしられるような喪失感を覚えます。
私の腕の中で力なく身を委ねていたラニが、ある瞬間、くっと首をもたげ、驚いたような顔をして私を見たあの瞬間に、ラニの心臓は止まってしまいました。
どこに行ったの?と何度も叫びました。いままで名前を呼べば私を見たラニは、どこに行ってしまったのか。
空のハウスを見るたびに、いつも寝ていたソファの片隅に目をやるたびに、「もういないんだ」と、わかっているはずの現実を確かめる。
すると、胸の奥にあるぽっかりとした空洞に気づくのです。
この空洞を埋めるのは、悲しさよりも出会えたことへの感謝なのでしょう。たくさんの贈りものをもらったことに気づいていくことなのだと思います。
母が亡くなってしばらくしてから、日常の中に母の愛が宿っていることに気づきました。
母がしてくれたことを娘にしている。母が苦しいときも希望を見出しながら前を向いていたように、私もそうしている。