藤原定家子孫・冷泉家当主夫人語る「婿入りしてくれた夫へ感謝」
すぐそばには、烏帽子に狩衣という冷泉家に受け継がれてきた公家の装束を身にまとった当主・為人さんの姿があった。
兵庫県稲美町出身で、近世絵画史が専門の研究者だった為人さんは、’84年に貴実子さんと結婚したことで突如、伝統文化の継承者となった。歌会後のインタビュー。為人さんは「ホンマ、えらいとこに養子に来てしもうたと、何度も思いましたわ」と笑った。
「私が為人になってからの大仕事が、平成の大修理と呼んでいる、7年がかりの冷泉家住宅の解体修理と、定家が遺した『明日記』の修理修復でした。その両方で、全部で10億円ほどのお金が要りました。ところが、冷泉の家の人いうのは、俊成さん定家さんから連なる800年のプライドが、やっぱりすごいあって。人にものを頼むということを、ようしないんですわ」
夫の横で、貴実子さんはばつが悪そうに何度もうなずき、「そう、自分の家のためにね、『お金出して』いうのは、言いにくいんよ」と話す。
「そこへいくと私の場合、古い友人に寄付お願いをするときも『僕の家のためやない、日本の宝のためや。それやったらきみ、お金出してくれるやろう』と。そういうのは貴実子はもちろん、先代も義母さんもよう言われへん。