『なつぞら』にヒント与えた奥山玲子さん 夫が語る素顔と最期
’85年からは、夫婦で東京デザイナー学院アニメーション科の講師を務めた。そして同年、東映動画時代の同期だった池田宏さんから、小田部さんに「任天堂に来ないか」とオファーが来る。
「『アニメーションのノウハウをゲームに取り入れたい』と。僕はゲームをしないし、オファーに躊躇していましたが、奥山が『やってみれば?』と背中を押してくれました。妻がそう言ってくれなかったら、まったく違う人生になっていたかもしれない」
そこから20年、小田部さんは週に1度、京都にある任天堂本社に足を運び、大人気ゲーム「スーパーマリオ」シリーズのキャラクターデザインや、「ポケットモンスター」シリーズのアニメーションを監修し続けた。
奥山さんは、’90年代からは銅版画家としても活動した。
「アニメーション以外にも、奥山はたくさんの表現の手段を持っていました。文章を書くのも好きで、デザイナー学院の講師としては、生徒に対して何か気づいたらすぐに手紙を書いていて。
教え子たちにも慕われていたようですよ」
だが、’07年、おしどり夫婦に突然の別れが訪れる。
「奥山は、故郷の仙台に暮らす母のお見舞いを懸命に行っていました。