長野智子、不妊治療で子供ができなかったからやれること
そうした思いから、国連UNHCR協会の活動に関わるようになりました。出会った難民一人ひとりが、私たちと何もかわらない、生きることを選んだ強い意志を持つ人たちだということ、もっともっと多くの人に、難民支援の意義を伝えたい。来年の『TOKYO2020』にはリオに続き、難民選手団が来日することが決まっています。自分の国の国旗を掲げることのできない彼らを、日本の皆さんに応援していただけるよう国連UNHCR協会のサポーターを増やすことが、私の役割だと思っています」
長野さんは日本では数少ない、ニュースの現場を知り、現場を語ることができる硬派の報道キャスターだ。
’80年代、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の“3代目ひょうきんアナ”だった彼女からは想像しがたい現在の立ち位置ではあるものの、硬派というには柔らかな人柄がにじみ出ている。
スラリとした長身に、ごく薄いグレーの柔らかなツーピースが軽やかだ。肩肘張らない自然体で、さっそうとわが道を行く長野さん。だからこそ彼女が書いた直近のコラムは、あまりに衝撃的だった。
《39歳で始めた不妊治療。結局、47歳まで続けました。(中略)