山田たかおの極貧幼少期 座布団運んでマンションオーナーに
あそこがまさに僕のうちだったそうです。もし、いまあったら、すごい財産ですよ。それに、埼玉の三郷には500坪の資材置き場も。それ、ぜ~んぶ取られちゃった」
山田くんには赤ちゃん時代の写真が1枚もない。生まれてきた愛息の記念撮影もできないほど、家はもう貧しかった。
「父は生真面目、母は優しかった。でも、口を開けば『たかお、申し訳ないね、ごめんね』とばかり言ってました。食べるものにも困るような生活で、家族はいつも心配事を抱えて、心の底から笑うことができない、そんな家庭でした」
山田くんはそんな家族を「思いっきり笑わせてあげたい」と、いつも思っていた。
チャンスが巡ってきたのは小学4年生のとき。当時、子供たちに大人気だったテレビ番組『日清ちびっこのどじまん』の公開収録が行われたのだ。同級生たち皆と観覧に訪れると、出演予定の小学生が1人、風邪でドタキャンしていた。
「すごい人気番組で、厳しいオーディションがあって、本来なら後々歌手になるような、歌のうまい子しか出られない。だけど、代役がいなかったんでしょう。司会の大村崑さん(88)が客席に向かって『誰か、歌いたい人?』って、その場で募りはじめたんですよね」