五輪行進曲で紫綬褒章 古関裕而さん奏でた戦後への『エール』
結果的に、芸術家への連合国側の態度はおおむね寛容で、裕而は再び好きな作曲に邁進できる日々を取り戻し、こう誓う。
「これからは、音楽で、戦争で傷ついたみんなを元気づけたい」
終戦後の裕而は、劇作家の菊田一夫との名コンビで、NHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の主題歌『とんがり帽子』で一世を風靡し、その後も『イヨマンテの夜』などヒット曲を連発していく。売れっ子だったころに見せた裕而の天才ぶりを、正裕さんは振り返る。
「いちばん忙しかったころは、五線紙を縦に書いていくんですよ。メロディに和音をつけるのではなく、最初からオーケストラの全部の楽器の音が、頭の中にあるんですよね」
また、父に関してこんなエピソードも。
「僕が小学生のころは、世間ではスパルタ親父がはやっていたんですが、うちの父は常にやさしかった。でも、ある日、コップに水を張って楽器のようにしてたたいて遊んでいたんです。すると父が2階の仕事部屋からドスドスとものすごい勢いで下りてきて『うるさい!』とひっぱたかれた。
あとにも先にも、手を上げられたのはあの一度きり。きっと、ズレた音階が、父には耐えられなかったのでしょう」
無二の感性で、着々と作曲を続けた裕而。