五輪行進曲で紫綬褒章 古関裕而さん奏でた戦後への『エール』
そして迎えた’64年。わが国初のオリンピックが開催されることになり、古関家に一大事が巻き起こる。
「金子さん、金子さん。やったよ、オリンピックだ、東京五輪の行進曲の作曲を頼まれた」
帰宅するなり玄関で、珍しく大声を上げた夫に、金子は、
「おめでとうございます!」
と、自分のことのように喜ぶのだった。こうして完成したのが、まさに日本中を音楽で鼓舞した『オリンピック・マーチ』だ。開会式当日、古関家では、父の作った曲が流れるのをテレビで見ていた。
「お父さまの作った曲よ!」
ブラウン管から流れてくる、裕而自ら「集大成」だというマーチを前に、金子の感極まった声が茶の間に響いた。こうした功績が認められ、裕而は’69年に紫綬褒章を授与され、名実ともに国民的作曲家となる。
3カ月間の文通を経て結婚した妻・金子を生涯愛し、日本中に向けてあたたかい応援ソングを作った天才作曲家。そんな裕而らとの家族団らんの様子を思い出し、内孫の松本幸子さん(49)はこう振り返った。
「夕食の後など、自然にリビングに集まって、祖父の裕而がハモンドオルガン、父の正裕がピアノを弾いて、そして金子おばあさま、母の直子、孫の私という女3代が歌うんです。