小松政夫さんが遺した言葉…親交監督語る“20年分の留守電”
折り返して電話をしたところ、小松さんは「なんだ、監督見てたの?いま、病院から出てきて車に乗ったとこだよ」と話したという。
「『どこか悪いんですか?』と聞いたんですが、詳しくは教えてくれなくて。最後に話したのは、亡くなる3ヵ月ほど前。ちょっと声が細くなったかな、とは思ってたんですけど。その一年前には舞台もやっていたので、まだまだお元気だろうと思ってました」
坪川さんは、小松さんのある言葉が胸に残っているという。
「『芸人とは人様が呼んでくれるもの。自分で“芸人です”って名乗るのはおかしい』と常々言ってました。小松さんはいろんな芸を観てきているから、芸の引き出しが無数にある。
小唄、長唄、義太夫、都々逸、たくさんのお座敷歌も教えてくれました。“バナナの叩き売り”の口上、“泣き売”など、今は見ることが出来ない香具師の口上の真似も。
かと思うと、ふとモップを手にしてフレッド・アステアみたいに踊り出したこともありました。小松さんこそ、本当の意味での芸人だと思います」
そんな小松さんの“芸人ぶり”に助けられたこともあった。坪川さんが続ける。
「1作目には、廃館になった映画館で撮影するシーンがありました。