松本明子「スタッフに羽交い締めにされて」振り返る37年前の“放送禁止用語”事件
仕事がなく、毎日のように寮のある国立駅前のベンチで泣いていた。そんなとき、同じ事務所の中山秀征が声をかけてくれた。
「渡辺プロは歌手班、ドラマ班、バラエティ班と分かれていたんですが、秀ちゃんが『姉さん、歌手班は居心地悪いでしょ。僕のいるバラエティ班に来ない?』と誘ってくれたんです。それが大きな転機になりました」
すぐにテレビに復帰できたわけではない。当時、中山が組んでいたお笑いコンビ、ABブラザーズの営業先に同行して、前座で歌うことから始めた。
■体を張って切り開いた新境地
少しずつ仕事が増え始めたころ、やはり目標となったのはママドルとなった聖子の存在だった。
「ママになっても、すごくかわいくて。
生涯アイドルを続けられるのは芯の強さ、スター性、歌唱力もあるでしょうが、自己プロデュース力だとも痛感しました」
思い描いていたアイドルではなかったが、松本さんは芸能界に残るためキャラクターを模索した。
「歌える場があることがうれしくてものまねにも挑戦。カラオケに行くお金もなかったから、下宿先で布団をかぶって歌の練習をしていました」
こうした努力により、ものまねの女四天王と呼ばれるほどに。