2022年10月2日 06:00
「赤ちゃんポスト」一人目の宮津航一さん「僕が子ども食堂を作った!」
「どうする?」という美光さんに、みどりさんは迷うことなく「小さい子なら、かわいいに決まっとるたい」と受け入れを決断した。その子どもが航一さんだった。
「私が行くと、親元に帰れると思って下駄箱から靴を持ってくるんです」
児相の職員から一次保護施設にいる航一さんの様子を聞くと、宮津さん夫妻は切なくなった。くるくるの天然パーマが印象的な航一さんの耳元で、美光さんは「もう心配いらんけんね」と優しく包み込んだ。
美光さん夫妻の愛情に包まれ、航一さんは伸び伸びと育っていった。
美光さんはお好み焼き店を’10年に閉じて、’11年に開設したファミリーホームの運営に専念することに。
そんななか、航一さんが小学校低学年のときに、偶然にも遠い親戚が見つかり、生まれの一端が判明したのだ。
航一さんを「赤ちゃんポスト」に託した親族のプライバシーもあるため詳述できないが、生みの母親は東日本出身で、航一さんを産んですぐに、交通事故で亡くなったという。
残念ながら実母と対面することはかなわないが、決して実母が航一さんを手放したわけではなかったこともわかったのだ。
「間もなく実母の墓も判明して、父に伴われ、お参りをすることになったんです」