2022年10月2日 06:00
「赤ちゃんポスト」一人目の宮津航一さん「僕が子ども食堂を作った!」
天然パーマなのも、ボクにそっくり。人に聞くと、目元が似ているようです。それまで、とくに生い立ちを意識することはありませんでしたが、お墓参りをして、心に欠けていたピースが埋まっていくような感じがしました」
■自分は養親と出会い、幸せに生きている。その現実を当事者として発信するため顔と実名を公表
航一さんは両親の愛情を注がれ、明るく、まっすぐに育った。中・高6年間は陸上部に所属し、100メートル走では県内2位に入るほどの有望選手として活躍した。
家庭裁判所に養子縁組を申し立て、認められたのは’20年12月25日のことだった。家族にとって最高のクリスマスプレゼントとなり、翌年の1月に手続きを終了。
たった一人の名前しか記載されない単独戸籍だった航一さんの戸籍に、養父母の名が加えられた。
「養子縁組前から、胸を張って“親子だ”と言えましたが、やっぱりうれしいものでした。でも、家族って戸籍でのつながり、血のつながりばかりじゃない。自分がうれしいときも、大変なときも、思いを共有して支えてくれる存在だから」(航一さん)
その年の春、航一さんは、美光さんが学校まで送迎する車中のラジオで、福岡県で起きた、ママ友に心理的に支配された母親による子ども虐待死のニュースを聞いた。