元秘書・長尾玲子さんが初告白 寂聴さん、たった一度の弱音「私、傲慢だったわね」

親戚である寂聴さんとは34歳の年の差となるが、物心ついたときすでに気になる存在だった
【前編】寂聴さん元秘書が語る出家前の“はあちゃん”の素顔と孤独より続く
故・瀬戸内寂聴さんを、秘書として公私ともに支え続けてきた長尾玲子さん。
寂聴さんのいとこの母とともに、中学時代から寂聴作品の資料集めなどをしてきた。自殺を心配されるほど悩んだ出家前、50代で発症したくも膜下出血、「青空説法」誕生秘話、お茶目さと対極にある孤独の影……。初めて語る、寂聴さんの知られざる素顔。
京都市・嵯峨野に寂庵ができて、寂聴さんは東京と京都を行ったり来たりの生活へ。そして出家からおよそ1年が過ぎた’75年の年明け早々、寂庵から1本の電話が入る。
「はあちゃんがくも膜下出血で入院したとの報を受けて、急ぎ、母と私が京都に駆けつけました」
病院のベッドの上で、寂聴さんはまひした左手をさすりながら、怪しいろれつのまましゃべり始めた。
「あたし、書けなくなるかもしれない」
しかし、幸い発作は一度で済み、少しずつ日常を取り戻していった。
「周囲には気づかれませんでしたが、ラ行の発音は年末まで戻りませんでしたね。売れっ子だっただけに、当時、病気は公表されませんでした」