2022年12月30日 06:00
元秘書・長尾玲子さんが初告白 寂聴さん、たった一度の弱音「私、傲慢だったわね」
「『あたしは、あっち側の人間になっていたのでは』と言うんです。徳島の少女時代には、瀬戸内の実家の仏壇店は商店街にありましたから、巡礼の人たちに対して、店先に施しの接待袋を置いていました。でも、大店ほど接待をしないものだったと。
成功した作家として過ごすうちに、駆け出しのころに食うや食わずの生活をしていた自分を忘れ、いつかあっち側、贅沢をしている大店側に安住してしまったのではないかと」
やがて、作家業とともに、社会に対して奉仕する無償の活動が増えていく。
寂庵や、岩手県の天台寺住職に就任したのを機に同寺で始まる、本誌連載でもおなじみだった「青空説法」を始めた。軽妙ながら奥深い語り口で、人生指南の達人としても多くのファンが生まれた。
’91年、湾岸戦争後には医薬品などを持って、バグダッドに飛んだ。
「生業の書くことはきちんと報酬を得る、講演は主催者の提示した報酬をいただく。
しかし、僧侶としての活動と、自発的に行う社会活動は無償だと、自分の中で決めているようでした」
青空説法などにも秘書として付き添い、マスコミ対応なども一人でしていた長尾さん。
「日本中を飛び回って、1年間に説法と講演を108回も行った年がありました。