「頑張っているのは親のため」平野紫耀 45日で再デビューにあったシングル母の存在
「いち早く活動を再開したのには、母親の存在があったのでしょう。以前から平野さんは、母を安心させるために仕事をしていると話していました」
こう話すのは、平野を知る芸能関係者。彼の芸能活動の背景には、常に母親の存在があったという。
「平野さんが小学4年生の頃に両親は離婚。平野さんと弟は女手一つで育てられました。当時から母親に負担をかけたくないと思っていたそうです」(前出・芸能関係者)
■「親が死にそうに」再デビューの理由
平野は18年10月に放送されたドキュメンタリー番組『RIDE ON TIME』(フジテレビ系)で次のように語っている。
「基本頑張っているのは親のためなんですよ。母子家庭なので、僕。
一回親が死にそうになっていたので」
前出の芸能関係者は言う。
「愛知県名古屋市出身の平野さんは、ジャニーズ事務所入所当時は関西Jr.として活動していましたが、人気が高まるにつれて東京での仕事も増えてきました。
本格的に東京へ引っ越そうとしたとき、母親が大病を患い、名古屋で入院することになったそうです。本当は母親のそばにいたかったそうですが、仕事のため母親の手術に付き添うことはできませんでした」