「DNA」「魂」…四代目がこだわり続けた「澤瀉屋の証明」猿之助4代150年の明と暗
『駅のホームでタッタッタッとまるで弁慶のように六方を踏んで。道を歩くのも踊りながらで、本当に困った子でした』と話しながらも、うれしそうだった延子さんのお顔は、いまも忘れられません」
■60年前、三代目が勤め上げた涙の代役。歴史は繰り返し……
四代目の歌舞伎界復帰は絶望視されており、澤瀉屋も存亡の危機に直面しているという。はたしてその再興は可能なのだろうか。関さんは事件後に四代目の代役を見事勤めた五代目市川團子(19)に期待を寄せる。
「俳優として確固たる地位を築いた香川さんが歌舞伎役者を志すことになった理由が、息子さん(五代目團子)のためだったと聞いたときは感動しました。そもそも、團子さんの本名は政明。『政』の字は二代目猿之助から代々、澤瀉屋の長男につけられたものです。
そんなお父さんの期待に応えようと、團子さんは精進したのでしょうね。その結果を5月の代役で見事に発揮できました。踊りの筋もとてもいいですし、今後も期待できますね」
犬丸さんは四代目の代役を團子が演じた点を「三代目の“涙の襲名”と二重写しに見えた」と話す。
「1963年、二代目猿之助が病いに倒れ、本当なら彼がやるはずだった『黒塚』を、孫である三代目が代役で勤めることになりました。