国境なき医師団・白根麻衣子さんが見たガザの惨状…「子どもの遺体をアイスクリーム用冷凍庫に」
「宿舎で寝ていたんですが、朝6時30分くらいに空爆やミサイルの音で目を覚ましました。ベランダに出ると500メートルくらい離れたビルの向こうから、ミサイルを発射する光が何本も目視できました」
MSFのマニュアルにのっとり、宿舎地下にある避難所に10人ほどのスタッフと共に避難。インターネットが使えたためニュース番組を見て、状況の推移を見守っていた。
「最初は“2〜3時間で収まるだろう”と楽観視していましたが、夜になっても、2〜3日たっても一向に収まらず、大きな紛争だと理解しました。避難生活4日目くらいに、20メートルほど先の建物にミサイルが撃ち込まれ、爆風で窓ガラスが一斉に割れたときは、地下の避難所もすごい振動があって、命の危険も感じました」
久しぶりに屋外に出たのは、イスラエル政府が、ガザ地区北部から南部へ避難するようにアナウンスした同13日のことだった。
「ふだんは人通りが多く、車のクラクションが鳴り響くような活発な街なんです。ガザは人口の約半分が18歳以下なので、子供たちの遊ぶ声も絶えず、外国人が珍しいために覚えたての英語で声をかけてくることもあったんです。でも、南部へ避難するときは街がシーンと静まりかえって、ときおり大きな荷物を持って、幼い子供をつれて歩いて避難している家族の姿を見かけるくらいでした」