国境なき医師団・白根麻衣子さんが見たガザの惨状…「子どもの遺体をアイスクリーム用冷凍庫に」
私たちを家族のように思いやってくれるんです。みんな、私たちと同じように明日には水や食料が尽きるかもしれない避難生活をしているのに……」
同27日には通信網が遮断され、ますます状況は悪化した。水や食料を調達するにも、情報が入ってこないために、現地スタッフは危険な屋外を探し回ることになる。
物資や情報が入手できない恐怖と、空爆が一日も鳴りやまず爆発の音で眠れない日々が続き、諦めの気持ちも出てきた。そんなとき、仲間や援助してくれるパレスチナ人とともに心の支えとなったのは、日本にいる母の言葉だった。
「電話は使えたので、母に『ダメかもしれない』と伝えたんです。でも、母は強い人で、力強く『あなたは絶対に大丈夫!元気に帰ってくるのを信じている』と勇気づけてくれたんです」
避難生活を26日過ごした11月1日に、エジプトの国境が開放され、外国人は退避できるという情報を手に入れた。国境でも現地スタッフが通訳をして、群衆をかき分けて通れる道を作ってくれた。
「彼らは国境を越えることができず、危険なガザに残らなければならないんです。ガザの状況は日に日に厳しくなり、子供の遺体も病院の遺体安置所に入りきらず、当初はアイスクリームを入れる冷凍庫に安置していましたが、その電力すらなくなり、いまは屋外に放置せざるをえないそうです。