小林幸子 10歳で歌手デビュー、不遇の15年を経てつかんだダブルミリオン
そう、お子さんのいるホステスさんが少なくないの。彼女たち、酔っ払ったお客さんを見送ったあと『ごめんね、遅くなって』と泣いて待つ子どものもとに駆け寄ってーー。これ、思い出すたび、なぜか涙が出てくるの。いつの時代も、生きてくため必死に頑張るお母さん、いるんですよ」
目元を拭いながら、小林さんは続ける。
「そうやって苦労して、生きる女性たちの人生を垣間見られたことが、もしかしたら私の歌に、深みを与えてくれたかもしれないと思ってるんです。それに、その時代、演歌だけじゃ食べていけなくて。いろんなジャンルの歌を歌いました。そんな経験も、いまの私の中で生きていると思うんです」
ヒット曲には恵まれないまま25歳に。
そして、’78年の大晦日。彼女の姿は伊豆の温泉街にあった。
このとき、小林さんは「これで最後」と思っていたシングルのレコーディングも済ませていた。年が明けて’79年の1月。新春ショーを続ける小林さんのもとに、当時の所属事務所のスタッフから1本の電話が入る。告げられたのは、にわかには信じ難い言葉だった。
「さっちゃんの曲が、有線でリクエスト1位になってるらしいよ!」
早速、教えられた関西の有線放送の事業所に電話を入れた。