「物言えぬ人の代わりに物を言う」弁護士・鴨志田裕美さん 父が経験していた“ハンセン病差別”【令和の寅子たち(3)】
■物を言えない人の代わりに物を言う
鴨志田さんは、子供のころから障がいのある人や在日韓国人・朝鮮人への差別や偏見を目の当たりにしてきた。
「極めつきは、私が高校生のときでした。父親が亡くなった後に、父の義兄がハンセン病の療養所にいたことを初めて知ったのです。父からは、伯父は早くに亡くなったと聞いていたので、本当に驚き、ショックを受けました。
父は自分の妻や娘にも、身内にハンセン病の患者がいることを言えないまま亡くなったのです。当時、それほど凄まじい差別があったのだと実感させられました。
そういう経験から、私は“物言えぬ人の代わりに物を言う”弁護士になろうと思ったのです」
40歳を過ぎてから弁護士になった鴨志田さん。ライフワークとしている再審法改正が実現すれば、自分が弁護士になった意味が十分にあったのではないかと感じている。
だから、何としても法改正をするまでは、やめるわけにはいかないと強い覚悟を持っているのだ。
「日本の再審法のルーツはドイツです。そのドイツでは検察官の不服申し立ては立法で禁止しています。本家はもうやめているのに、日本はまだこんな制度を残したままです。
再審が認められても、検察官が不服申し立てをすることで、いたずらに時間をかけるだけ。