「育児の時間はマイナスじゃない」“リケジョの第一人者”の進言
そして夕方帰宅した夫に、その日の出来事を機関銃のようにしゃべる。もちろん仕事で疲れ果てた夫の顔には『勘弁して』と書いてあり……。専業主婦は3カ月で挫折。コンピュータメーカーに就職しました」
翌年には資金もたまり、米国留学。帰国後に東大大学院に進み、並行して大学の非常勤副手として勤務していた。そして、’92年2月、31歳で長男を出産する。
「キャリアを中断するのがイヤで出産2カ月後に復帰したのですが、当時は0歳児保育がなく、半年間は待機児童。母とベビーシッターに交代で見てもらっていました。
ただお給料以上にお金がかかることも多く、仕事と育児の両立に矛盾を感じた時期でした」
夜、子どもを寝かしつけてから仕事をしようと思っていたら、つい自分も寝入ってしまった。“気づけば朝”という日が続いた。保育園で「なんだか後ろめたい」と相談した美馬さんに、園長は「わが子にかわいそうなことをしていると思っちゃダメ。社会に貢献しているという、“プロのプライド”を持ちなさい!」