放射能被害の地撮り続ける戦場写真家が見た「福島の涙」
それでいいの?と思いました」
そもそも放射能事故の現場に足を踏み入れることへの恐怖はなかったのか。
「そうですね。若い人はよほどの覚悟がない限り、行ってはいけないと言っていました。でも私はもう年齢が年齢だからいいのではないかと。なぜあえて危険な現場に行くのかと聞かれれば、『この仕事を選んだから』と、答えます」
ドクターストップが解除された直後の5月2日、カメラ2台を肩にして、1人で福島行きの電車に乗った。
「最初のころは1週間以上の滞在で、福島だけではなく宮城のほうにも行きましたから、病み上がりでしたし、疲れ果てて東京に帰ってくるんですよ。やっと元気になったと思うと、翌月にまた福島へ行くんです」
前回撮影した写真をプリントして持参するのが大石さん流だった。
「海外でも同じようにしていますが、東北だとプリントを差し出すと、『写真代』って封筒に入れたお金を渡そうとする人がいて、あわてたりもするんです(笑)」
そんな大石さんに、初対面では口が重かった人も、徐々に心を開いてくれるようになった。