くらし情報『「家族が肉片に…」沖縄県遺族連合会・元会長語る爆撃の記憶』

2017年7月30日 06:00

「家族が肉片に…」沖縄県遺族連合会・元会長語る爆撃の記憶

 

「学校へ行く途中で、飛行機が見えて。サイレンが鳴ったと思うと、艦砲射撃と爆弾で那覇が火の海になっていたよ」

昭和19(’44)年10月10日、米軍による空襲で、那覇市内は壊滅状態に陥った。翌年4月1日に、米軍が本島に上陸。戦況は悪化するばかりだった。

「4月のある日、日本兵が私たちが避難していたガマ(洞窟)に来て『南部へ行きなさい。食料も小屋もあるから』と言うの。でもね、南部は激戦地なのよ。日本軍にはいい人も悪い人もいた。
こう言われて出て行った家の食料を、全部、取った人もいたから」

照屋さん一家も、指示どおり南部を目指したが、そこには食料も小屋もなく、その後は南部の山中を彷徨い、逃げ惑うばかりだった。

「死体が木に引っかかっているのも見た。親が死んで、背中におぶわれていた赤ちゃんが泣いていた。道路には死人もいっぱい。ただただ、踏まないように歩いたね」

6月、糸満市新垣にたどり着いた一家が、岩陰に隠れていると、近くの野戦病院で看護師として働いていた長姉が軍医を連れて、ケガをした弟たちの治療に来てくれた。

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