「家族が肉片に…」沖縄県遺族連合会・元会長語る爆撃の記憶
「岩陰の外で、治療をしているのを米軍に見つかったのかね。岩陰の中で座って見ていたら、ボボボッという音が聞こえて……。目の前で肉片と血が飛び散ったの。爆弾を撃ち込まれたの……」
気を失った照屋さんを呼ぶ声がした。ツルさんだった。
「母が体をゆすってくれて、意識が戻った。自分を見ると、血の塊と肉片が、ひっついていて……。私はやられていないけど、母がゆすって、その肉片を払ってくれていて」
ぼう然とする照屋さんを、ツルさんは岩陰から引きずり出して叫んだ。
「『ここで待ってなさい!』って。その光景を見せたくなかったんだろうね。母はきっとその場を“片づけて”いた」
姉も祖母も3歳の弟も即死だった。
「そのときだよ。母がね。『ここにいてもどうせ死ぬなら、首里へ帰ろうね』って。私はなんだかうれしくてね。死ぬのを納得していた。
私、9歳だったよ」
生き残った家族で、首里を目指し、切り立った崖を下りたが、海上には米軍の船が集結していて逃げ場がない。